シーソーゲーム


・緑谷くんが轟くんの乳首をいじったりしているのでR15にしてあります。
・後半一瞬轟出っぽい空気になります。






▷シーソーゲーム〔seesaw-game〕
追いつ追われつの接戦となった試合。得点を取ったり取られたりする、白熱した試合。(デジタル大辞泉)


  ☆

「ん、みどりや」
「なに、轟くん」
変なことをしている。普段は柔らかで穏和な雰囲気を放つ緑谷は、割合エロいことが好きだ。そう知ったのは付き合い始めてしばらく経ってから、つまりここ一、二ヶ月のことだ。緑谷の個室のある2Fにはこの関係になってよく訪れるようになり、当初は緊張してしょうがなかったこの部屋にも慣れてきた。いつ来てもこじんまりと整頓されており、至るところにオールマイトのグッズが置かれている。といえども引っ越してきた当初、部屋見学のときほどの数はない。それは轟の要望だった。俺もオールマイトは嫌いじゃねぇし憧れの対象ではある。けど、いやだからこそ、こういうことをするときはしまってくれ。そう告げると緑谷は理解を示してくれて、目立つものは片付けてもらうことになった。それでも壁に貼られたポスターや細々した雑貨、星条旗柄のカーテンなどはそのままだ。それらを眺めながらこんなことをしていると時折わけがわからなくもなってくる。この場所で彼とこうしているということ。
二人、ベッドの上に腰を下ろしていた。後ろから回った緑谷の掌がむき出しの轟の胸をさっきから撫でている。轟のほうが体が大きいのに、彼の体によりかかる体勢になってしまっている。気になるのは重たくないかということだ。背中越しの彼の体温。緑の柔らかなくせ毛が、頬や首元に当たって落ち着かない。落ち着かないというなら全部が落ち着かないのだが。なんで俺だけシャツの上の方だけはだけて…乳首ばっか触られてるんだ。緑谷はちゃんと部屋着を着てるのに(いつもの無地に文字が入ったTシャツだ)、俺は補習帰りに彼の部屋に寄ったからまだ制服だ。
「緑谷、何か…俺だけ恥じぃ」
「んー、そうかな?」
「おう…」
緑谷の口調も声もいつものとおり優しい。緑谷はそうだ、基本的に人当たりがいいし、話もよく聞いてくれるし、口べたな俺相手でも呆れたり急かしたりしない。それは付き合う前も今も変わらない。でもこういう状況では少し違った。人の機微に疎い自覚のある自分にもそれが分かる。いつもであれば僅かな感情の変化も敏感に気づいてくれるのだが、一旦この流れになると今轟がした程度の訴えはさらりと聞き流されることがある。力業みたいな「個性」の影響なのか意外と太く固い指の腹で、轟のそこを撫でたり、弾いたり摘まんだりしている。緑谷は特に何も言わないが、何かしらエロい感じを期待されているのだろうか。声、とか。でも別に大した手応えもない。時折薄っすらと疼きのような感覚が走るだけだ。
「ん」
「あ、痛い?」
「いたくはねぇ」
「そっか、良かった」
頬が触れるほど近くにあるか緑谷の顔を上目で眺める。身長差のせいでいつもは見下ろしているから新鮮な景色だ。まるくて大きな眸もそばかすもいつもと一緒だ。惚れた欲目かもしれないけれどかわいらしい顔だと思う。会ったばかりの頃はどう思っていただろうか。場にそぐわない疑問が芽生え、記憶を掘り起こし自答してみる。確か、弱っちそうで情けねぇとか思ってたな。それがこの変わりようだ。そう考えると生きてるってすげぇな、いろんなことあるんだな。なんだかひどく場違いな感慨が湧く。
思わずふ、と笑うと気づいた緑谷と至近距離で目が合う。どちらともなく目が閉じて唇が重なった。触れるだけのキスに慣れたのもつい最近のことで、こんなに自然に移行するのはまだこれでニ度目だ。ただ唇が合わさっているだけなのに胸の奥がきゅっとなる。脳内物質が出てくるのか、自分と緑谷の間の空気がピンクっぽい色に染まっていく。これにはまだ慣れない、変な心地だ。髪が触れ合ってくしゃりと音が立つ。角度を変えつつお互いの唇を触れ合わせる。自分たちがするにはまだちょっとちぐはぐな行為な感じがする。かといってやめる気も起こらない。
「緑谷」
「うん?」
「変な感じだな」
「はは、うん、そうかも」
柔らかく応じた緑谷の唇がするりと髪に流れ、滑っていって轟の耳に触れた。耳殻をはまれ耳孔に吐息を感じる。ひく。弄られていた乳首より耳のほうが敏感で、一瞬身がすくんだ。
「だいじょぶ?」
「…おう」
「轟くん、耳弱いよね」
「弱いっていうのかわかんねぇけど。少しどきどきはする」
「うん、僕も」
耳元で静かな優しい声が肯いて、少し体を反らすと再び視線が混じって唇が重なる。また反復。へんだ。緑谷。こんな至近距離に緑谷がいる。緑谷を聞いて緑谷を見て、緑谷とキスをする。立場を逆にすれば、緑谷が聞いて緑谷が見て緑谷が口付けしている。誰に。俺にだ。俯瞰して考えれば、何だかむしょうに彼にまみれている。
「緑谷まみれだな」
キスの合間にぽつりとこぼれた言葉に緑谷の手つきが止まり、慌てた様子の彼が焦ったような声を上げる。
「へっ!? そそそれってもしかして気持ち悪いってこと?」
「いや、ちげくて…何ていうか、緑谷ばっかだなって。俺」
「僕ばっか?」
「そう」
緑谷の手が胸を離れて轟の髪に触れた。さら、さら、静かな音を立てて温かな手が髪の上を滑る。撫でられている。もう子供でもないのに気持ちいいなと思った。思ったら自然に吐息が滲んで語尾が溶けた。瞼が少し下がる。猫みてぇだ。もし本当に猫ならきっと喉でも鳴らしている。
「それって…いいことなのかな?」
「わかんねぇ」
「わかんない?」
「おう、なんか…だめかも。いや、緑谷がじゃなくて、俺が」
「轟くんが?」
緑谷はまだ心配そうだ。眉根を寄せて轟の顔をのぞき込んでいる。ふと今自分はどんな顔をしているのか気になる。いつもの無表情だろうか。多分そうだ。もしかしたらそれが余計緑谷を困らせているかもしれない。違ぇんだけど、と心の中で思う。お前がどうこうじゃねぇんだ。緑谷はいつも優しいし俺が嫌なことは基本しない。問題はきっと俺にある。言葉を探る。一つ一つ選びながら話してみる。
「何ていうか…こういうふうに、お前と一緒にいる時間が長い。それは全然嫌とかじゃねぇけど。でも何つうか、溶けちまうような感じがするんだ」
「溶ける」
「うん、お前に」
「えぇと…」
「それが、もしかしたら悪いのかもしれねぇ。わかんねぇ」
 言葉を受けた緑谷は、溶けるのが悪いことかぁ。口の中でそう呟き、少しだけ思案するように視線を上向かせる。その間も手は轟の髪を撫でていてそれに少し安心する。体の力を抜いて彼によりかかり彼の答えを待っている。
「それって、リラックスしてるって意味なのかな。轟くん的に」
「リラックスか」
今度は轟が考える番だった。その間もじわじわと背中から服越しに伝わる体温が心地良い。緑谷はきっと平熱が高い。気持ちも体も緩む、気はする。それを確認するように応える。
「確かにリラックスはしてる。緑谷はあったけぇし。ほっとする」
「そっか。そういえば上手いマッサージ受けた時とかさ、溶けそうって使うよね」
「そうだな。じゃあこれは、気持ちいい…なのか。悪ぃことではねぇのかな」
「ん、そうあってほしいな、僕としては」
緑谷はそう言うとにこにことえくぼを浮かせた。その顔が何故か嬉しそうで、なんとなくつられて轟も笑う。顔が綻んだ拍子に気持ちも緩んで、ふっと本音が口をついた。
「緑谷に触られるのは、気持ちいいよ」
「ほんと?」
「うん。さっき気にしてたけど、気持ち悪くなんかねぇよ」
「全然?」
「全然」
きっぱり言い切って、丸い緑の目を見つめてみる。すると緑谷の笑顔が、先程までの少し余裕のあるものから見慣れた下がり眉の笑みになった。
「轟くんってさ、可愛いんだかかっこいいんだかわかんないよね」
「そうか? それは…悪いことか?」
「いや、うーん…僕もまだ慣れないなぁってこと」
緑谷も慣れないのか。その答えに少し安堵する。してから先程の言葉を胸の中で反復する。可愛いんだかかっこいいんだかわからない。そうだろうか。そう見えるんだろうか。俺にしたら可愛いよりかはかっこいいと言われてぇな。素朴にそう思い口に出す。
「俺はかっこいいって言われるほうが好きだ。……まぁ、今はこんな格好してるけど」
「あっ! そうだよね、ごめん、冷えない!?」
「おう」
 優しい指でぷちぷちひらかれたボタンの隙間、シャツの波間から、弄られていた乳首が両側覗く。改めて見下げてみてもどことなく情けない感じで、着替え途中みたいに見える。やっぱ恥じい。そう思っているとまた緑谷の指が伸びてきた。おい、声をかけてみても悪ふざけみたいにやまない。変な感覚がまた蘇ってくる。快感自体はそこまででもないが、され続けているうちに何だかじんわりと頭の芯が弛んでいく。
「ん……」
少し強く弾かれるとひくっと肩が動いた。それを誤魔化したくて轟は緑谷の腕のシャツを引いたが、気づかれてたらしい。緑の目と視線が合い、柔和に笑んだ口が言う。
「轟くんのえっち」
「ちが…ばか」
「えー?」
あやすような声色。指がねちねちと轟の乳首を弄る。この声はそうだ、一度学祭準備につれてきた壊理とか言う女の子、あの子に使っていた、優しいお兄さんみたいな声だ。そう気づいてしまうと何か、だめだった。罪悪感。背徳感? わからない。いけないことをしている。緑谷としている。いや、緑谷に俺がさせている。男の乳首なんかいじらせている。なんかだめだ。だめだろ、だめじゃないか、こんなこと。
「…っ…んん」
鼻にかかったような声があふれる。いやだ、恥ずかしい。手の甲を口に持っていき抑える。頭に緑谷の口づけが降ってくる。それがまた羞恥を煽る。柔らかな緑のくせっけが頬を掠める。乾いた感触。覚えてしまう。誰のため。俺のために。ひく、足が震えた。溶ける。再びその感覚が押し寄せてきて、助けを求めて彼の名を呼ぶ。
「みどりや」
「あ、よくなってきた?」
「わ、かんね」
止まる気配のない指に少し焦って、轟はシャツ越しの彼の腕をつかんだ。
「ちょっとだめだ」
「なんで?」
「なんか、やべぇ」
「やばい?」
問う声、轟の返事を受け止め応え返して来る声はあくまで穏やかでそれがやっぱり変だ。というか、変にさせる。させるなら、変なのは緑谷じゃなくて俺か。俺が一方的に変か。でも緑谷だってしつこくはないか。
「溶ける」
覗き込んでくる眼をまともに合わせ、さっきと同じ言葉を口走る。それしか浮かばない。なにも伝える内容が変わってなくてそれに我ながら少し呆れる。緑谷はふっと笑う。
「うーん、それは」
「あとやっぱ恥じぃ」
「そっかぁ、ごめん」
言い募ると優しく謝られる。なのに指は休まず動きつづけている。それに焦る。一旦そういうスイッチが入ると男でも乳首は敏感になってくるものらしかった。息も少し上がってきたのを感じる。自然少し咎めるような声色になった。
「おい、口だけじゃねぇか」
「うん、そうなんだよね。でもいまいち止めたくならないっていうかさぁ…」
仕方ないよね、諦めみたいなニュアンスが混ざる返事がよくわからない。
「お前」
「ごめんって。本当に嫌だったらすぐやめるからさ」
その言い方は狡いと轟は思う。だってこっちは体に力が入らない。言葉一つ出すのだって声が裏返りそうでこわい。
「なんでそんなーー」
してぇんだよ。こんなの。軽く抓られた刺激に息を呑んだために言葉が続けられなかった。その代わりのようにびくっと腰が浮く。いやだ。自分を、自分で制御できなくなるのは苦手だ。緑谷は思えば会った時からこういうことをしてくる。優しいくせに。ひ弱そうだったくせに。なんだか騙されてるみてぇ。恨みごとのような言葉を脳内で訴えていると顔に出ていたらしく、気づいた緑谷が少し後ろめたそうに言う。
「そんな睨まないで、かわいい」
「いみわかんね……ん、あっ」
言い返した拍子についに女みたいな高い声が出た。手を持っていき口を抑える。下肢に熱が集まっていく。見たくねぇけど、きっと勃ってる。いつからかなんか知らない。緑谷の視線を感じる。こんな体勢では股間なんか隠しようがないというか、隠したら逆にもろわかりだ。口を覆っていた手を顔全体に伸ばす。せめてもの抵抗で首を彼から見えない角度まで逸した。
「見んなよ…」
触られているところがじりじりしていく。最初は強い刺激に反応していたが、こうなると撫でられるだけでも快感が拾える。ん、ん。はぁ、ん。熱っぽく詰まったような声がとうとう抑えきれなくなってきた。掠れた吐息が聞き苦しい。みみがあつい。きっと馬鹿みてぇに赤い。恥ずかしい。さっきからずっと首筋をひっかいている彼の髪の感触がむず痒さ以外の意味を帯びつつある。ぴりぴりす、る。なんだか指先まで鈍いしびれのような感覚に染まっていく。
「わ、耳あかいね」
「ぅ、ひぁっ!」
驚いたような調子で耳元で囁かれ大袈裟なほど体が痙攣した。びくっ、のたうった拍子に体勢が崩れて後ろにいた彼にぶつかる。緑谷の手が胸から下りて本気で助かったと思った。伊達に鍛えていない腹筋の力ですぐさまベッドから起き上がり、緑谷に向き直ると珍しく感情のまま声を上げた。
「っおまえっ、緑谷!」
「ご、ごめんごめんっ」
ぱっと両手を掲げてホールドアップの姿勢を取ったところでもう遅い。いかにも申し訳なさそうな顔で、そんな眉下げて見上げてきたって許してやれねぇ。起き直ってわかったが下着の中が濡れていた。やべぇ、めちゃくちゃ情けない。
「…部屋戻る」
あまり大きな声を出して他の部屋のやつに聞かれたらまずい。確実に溶けかけていた思考回路が立ち直ってきて、抑えた声は低かった。シャツのボタンを止める時間も省きたく、脱ぎ捨てていたジャケットを適当に丸めて前を隠し、鞄を手に取ると部屋を横切りドアノブを回した。呆気にとられていた緑谷も追ってきて轟の一歩先に扉を抑えた。お互い立ってまともに対面になった。それでも顔が合わせられず俯いてしまう。
「と、轟くん」
おろおろしているのが声だけでも伝わってくる。ああ、やだな。その声には弱い。無意識に体に力が入って、皺になってしまうとわかりながらジャケットを掻き抱く。
「今は来んな」
「ね、怒ってる?」
緑谷の問いかけに、いつものように頭がさっと回る。せっかくの二人の時間だったのに後味が悪くなるのは嫌だったし、段々頭も冷えてきた。目線は床のまま、言葉が口から漏れ出る。
「…怒ってるっつうか、正直恥じぃ。だっておまえやめないんだもん」
「う、それは…」
緑谷の声がふわりと苦笑に溶ける。言い返して来ない彼への泣き言は続けて轟の口をついた。
「変な声は出るし。緑谷かわいいとか言うし」
「え? それは申し訳ないけど言う。だって事実だし。だめ?」
「事実って…」
んなわけなくないか。今度は強気になって言い返してきた緑谷に、逆に体の力が抜けた。壁に背をついてずる、とそのまま滑り落ちた惰性で床にうずくまった。すると緑谷も視線を合わせるように目の前にしゃがんでくれた。これではまるっきりあの女の子と一緒になってしまった。
「ほら、ボタン留めなきゃ」
 はだけた胸元に気づいた緑谷がそう言って、別にいいと返す前に、外されたときと同じように節くれだった指が襟もとに沿うてきた。一つ一つを留められていく。轟はおとなしくその指先を見つめていた。目を引くのは長く一本入った傷跡。俺に巻き込んでついた傷だ。目に入るたびそう思う。治らないのは道理で、体育祭の彼は捨て身も同然の滅茶苦茶な戦い方をしていた。でもそれは俺もか。やっぱいろんなこと、あったよな。再び場違いな感慨が湧いてくる。緑谷の爪は切り揃えられて、手は無骨にみえて案外器用に動く。敵を挫くための拳だ、それと同時に弱き者を助けるための掌だ。それが俺に触れる。さっきみたいに。劣情とも独占欲ともつかない感情が突然胸に沸いて胃の腑あたりに落ち、言葉にできない曖昧なものが入り交じる。
「はい、できた」
轟が感情の整理をつけられない間にボタンは留まって、緑谷がそう言った。おう、無視もしたくないが気の利いた返事も浮かばず相槌を零す。しばらく無言の時間が流れて、気まずげに口を切ったのは彼だった。
「ーー僕、調子乗ったかな。さっきは軽く言っちゃったかもしれないけど、本当ごめんなさい。轟くん」
「…謝ってほしいわけじゃねぇ。別にお前悪いことしてないだろ。付き合うってそういうことだし、俺もこういうことしてえって思ってる。思ってるから、付き合った」
「うん、わかる。でも君の気持ちを無視してたよね」
ちらりと見上げた目の前の顔はしごく真剣だ。その表情に、その感情にはせめて報いたい。だから言葉を、秩序づかない感覚が渦巻く肚のなかから轟は探り出す。
「俺の気持ち、が俺にもわかんねぇ。緑谷の前だと変わっちまう。緑谷に触られたり優しくされると溶けそうになったり、おかしな声出たり、変になってきて調子狂う」 
緑谷は、俺の拙い述懐をいちいち頷いて聞いて、それが終わると、なるほどと小さく呟いた。その彼を見て緑谷はすげぇな、と何度めかわからないことを思う。緑谷が人の気持ちを蔑ろにしたところを見たことがない。こうやって何か空気がこじれても、轟の絞り出した言葉を一言たりとも漏らさない。小柄な体でめいっぱい腕を広げて、驚くほどの逞しさで受け止める。そこが好きだな。ふとそう思って、そう、お前が良いんだと噛み締めるように頭の中で繰り返す。真剣な緑の目がまたこちらに向けられたのを感じた。
「僕も付き合うとか初めてだから、あんまり言えないけど。でも、いま轟くんの言ったのも含めて『付き合う』なんじゃないのかな?」
「ふくめ…」
緑谷の言葉に思わず絶句してしまう。こんな感情まで付き合うの中に含まれているなら、それは今の轟の理解の範疇を超えている。好きだから付き合う。付き合ったらキスとかエロいことをする。そんな知識しか轟の頭の辞書には載ってない。緑谷はなお口ごもりながら言葉を続けた。
「あ、あのさ、轟くんはもしかしたら嫌かもしれないけど…僕としては君のそういうところがもっと見たい。ていうか、ずっと君のそばにいたい。これは重くて身勝手な欲望かもしれないけど…そうなんだ」
「嫌じゃねぇよ」
それだけ弱く言えた。重くも身勝手でもねぇ。そこは頭の中で付け加える。緑谷に求められること。まだ口にできるような気持ちにはなっていないが、確かに嬉しいことだと思う。
「えっと、だからさ、強引になっちゃってたらごめんね。でも僕は可愛い轟くんも格好良い轟くんも、勿論それ以外の轟くんも好きなんだ。これは告白のときも言ったよね。でも改めて言わせてほしい、轟くんなら全部見たいよ。それは分かってほしい。どんな君にも幻滅なんかしないからさ」
「…言い過ぎだろ」
真っ直ぐな言葉は照れ臭い。緑谷にはこういうところがある。衒いがなく真っ直ぐで、必要な言葉は惜しげもなく口にする。
「え、全然言い足りないけどな」
緑の大きな目を細めて緑谷は笑んだ。まるで日差しのようだ。でも緑色の日差しなんて変だな。そう思って、変でも緑谷は俺を照らすんだなと気がつく。変でもいい。だから、俺も変な俺でもいいのかもしれないな。我ながら随分妙な理路だけどそう思えた。それにしても、と轟はつぶやく。
「弱気なのか強気なのか分かんねぇな。緑谷は」
「え、僕そんな強気なこと言った?」
「おう」
「そうかなぁ?」
不思議そうな顔で首までひねり出した緑谷に、おまえもわりと天然、っていうやつじゃないのかという思いがよぎる。ずっと君のそばにいたいなんて、考えてみると前に冬美姉ぇが見ていたテレビドラマに出てきてもおかしくない。というか出ていたかもしれない。どうでもいい記憶を轟は追い払う。
「まぁ、でも…緑谷の言いたいことはわかったと思う。うまく言えないけど、何ていうか…変でいいってことだよな。だから、変なのにも慣れるように努力する。努力はするけど当分は変わらねぇかもしれない。凹みはするし、照れるぞ。多分」
「あぁ、うん。それはこれまでの反応で薄々分かってたかも」
「そうなのか?」
「え、だって轟くん、今日めっちゃ照れてたし」
「気づいてたのかよ」
「そりゃ気づくよ」
けろっとした顔で言われると、それはそれで癪だ。悔しい。上目で睨んでやるとなぜか緑谷は逆に相好を崩した。意味がわかんねぇな。そう思っていると、緑谷はまあまぁ、ととりなすように手のひらを動かして朗らかに笑った。
「まぁそういうの全部かっ…かっこいいから、いいんだけどね」
「…そこ気遣われるのもなんかやだな」
「あ、そこは分かるんだ」
言った緑谷が明るい声で笑って、轟も釣られて笑いながら言い返す。
「さすがにわかる」
「やっぱ未知数だなぁ君は」
という言葉とともにまた温かな手が伸びてきて、髪を梳くように撫でた。緑谷って髪撫でるの好きな気がする。頭の片隅でそう思いながら、仲直りの行為のようないやでもない感触に身を委ねてしまう。しばらくされるがままになっていると、轟の二色の髪の分かれめあたりを慈しむような顔つきで緑谷がなぞっていく。
…いや、それはまだ、ちょっとだめだ。また性懲りもなく心臓が溶けかける。そしてその仕草や表情に流されそうになっているのに気づく。考えてみたら俺ばっかりこんな思いをするのは少し嫌だ。せめて一矢報いてやりたい。なお甘やかそうとしてくるその手首を掴むと、彼は呆気にとられた表情を浮かべた。先程言われた言葉を思い出してまぜかえしてやる。
「なぁ、さっきの台詞。俺もお前に言いたいんだけど」
「へ?」
「未知数ってやつ。だってさ、俺より‥‥緑谷の方がかわいいだろ?」
「…え、あ? え? い、いやいやいやいや」
焦って身を引いた彼を、今度はこちらから追うように距離を詰めて見つめてみる。緑谷は多分俺の顔が好きだ。直接言われたわけではないが、これまでの言動から薄っすらそんな気がする。だから精一杯格好つけた若干切なげな表情を作ってみる。クラスの誰かが言っていたキメ顔ってやつだ。効果があるかはいまいちわからない。でも余裕な顔は剥がせたし、びっくりしてるっぽい感じだ。頬も少し赤くなっているだろうか。しゃがんだまま尻餅をついた彼に、四つん這いになってなお迫る。緑の瞳を覗き込む。こんなのさっきと一緒なのに形勢が変われば全く違う。少し楽しいし全然余裕だ。意外と抱え込むのも楽な体型差に気づきながら肩を引きよせ、その耳元に口を近づけて囁いた。
「なぁ、今日は俺ばっかめちゃくちゃ触ってもらっちまって、すまねぇな」
「〜〜〜いやちょっぜんぜんそんな気にしてないし君の顔でそういうこと言われると洒落にならないんだってちょっと離れて」
本気で嫌がっている態度ではないとわかっていても、拒むように腕で体を押されるとちょっと悲しい。意図せず少し声が低くなった。
「お前はいいのに俺はだめって、そういうことなのか?」
「いや待ってちょっと心の準備が!」
言い募る彼の耳が赤く熱くなっていく。照れてるな。そうわかって少し嬉しくなって追撃する。
「待たねぇ。照れてるのかわいい」
「あ~~もうここぞとばかりに言うんだから…」
「そんなことねぇ。さっきからずっと思ってた」
こう迫ってしまえば、彼の上半身だってぴらぴらの薄いTシャツ一枚だ。するりと裾の中に手を差し入れて、薄い腹を撫でる。腹筋はそれなりについてて固い。でもやっぱ俺に比べたら華奢だ。そんなことを考えながらまさぐっていた手が、シャツの上から押さえつけられた。まだ抵抗するのかとじろりと睨むと、視線の先の緑谷は本当に弱ったという顔を浮かべていた。
「…いやいや、あーもうほんと…ごめん。謝るから許してよ、ちょっと心臓持たない」
そう笑われると弱い。さっきの緑谷だって本気で嫌がればやめると言ってくれていたのだ。彼の肌は名残惜しいけれどシャツから手を引抜き、渋々身を起こす。途端緑谷の体からふにゃっと力が抜けてラグの上に寝転がった。轟の方は少し迷ってから、なんとなくその傍らに正座して彼に話しかけた。
「な、可愛いって言われる気分わかったかよ。それにほら、触られたら溶けそうになるだろ」
「や、うんはい、わかるわかった、わかりました。……はぁ何かもう……溶けるっていうか心臓消し炭になるかと思ったよ」
「? 火は使ってねえぞ」
「あーーもうほんっっとそういうとこだって!」
顔を手のひらで覆ってごろごろ転がる、謎の反応を示す緑谷が、よくわかんねぇけど面白いし見てて飽きない。はぁもう全くなんていうの、なんていえばわかるのいやそれも君のいいとこなんだけど、横たわったまま例のブツブツが始まりそうなのを察して轟は話が変わる前に念を押す。
「とにかく、かわいいは・・・たまにならいいけど、あんま言うな」
「え、うーん、いやそれはちょっと自信無いかも」
「何でだよ。今のでわかったろ」
「だってそりゃさあ…ね、わかってよ」
いかにも耐えてます、みたいな風情を出されてもぴんとこない。この場合耐えてるのは俺じゃないか。だっておあずけを食らったのは俺なんだから。いや、それを言うならさっきは緑谷が俺の立場だったのか。でも通算して一対一で引き分けなんだから、それでは彼だけが耐えているとはいえないだろう。轟の反応の鈍さで察したのか、緑谷は、
「…まあいいけどさ」
顔を覆った指の隙間から丸い目を出して、ちょっと呆れたように笑った。あまり見ないシーンだ。珍しいなと思いながら口には出さない。俺があまり緑谷にかわいいとか言わないのは、大半は照れ臭ぇからだけど、いきなり言っても驚かせちまうなとも思うからだ。そう考えてみたら緑谷はかわいいだけじゃない。俺が緑谷について彼に聞かしていない言葉はまだまだある。かっこいいし優しいし、聞き上手だし話上手で、誠実で。そういう口に出さないことも含めたらきっと俺のほうがセーブしてる。そんなことを思いながら転がっている彼を眺めていると、突然彼が天井を見上げたままぴたりと動きを止めた。
「あ。思いついた。じゃあ一日一回とかはどう?」
「は。かわいいをか?」
「そうそう。二人の間で使用するかわいいって言葉に一日一回の制限をつけるんだ。それならお互い耐えれるんじゃない? なんか意外と名案な気がしてきたな」
突如むくっと起きあがって、どう!?と勢い込んで尋ねてくる緑谷に轟も一瞬気圧されておぉ、と応じた。すると彼は嬉しそうに頷き返し、瞳をきらめかせてくる。この顔は授業中なんかに見たことがある。ヒーローとか個性以外にもこんなにテンション上がることあるのか、と妙なことに感心する。また新しい緑谷を見れた気がする。彼はそのままの勢いで跳ね上がると、
「じゃあ僕一応書いておくよ!」
とどこからともなくノートを取り出し、机に向かう間も惜しいのか床に突っ伏して何か書きつけ始めた。やっぱ面白ぇな緑谷は、と轟は思う。はしゃいでいる犬か何かを見守るような心地だ。一日一回のかわいい、か。丸まった背中を眺め改めて反芻していると、ふとその提案の問題点に思い至り口を開いた。
「ーー緑谷、やっぱ一回じゃ足りねぇ」
「…えーっとそうだなぁ、うん、やっぱり妥当なのは…え?」
「今ちょっと考えてたんだ。書いてるとこ悪ぃが聞いてくれるか」
正座のまま彼の傍らにずりよって距離を詰める。ペンを動かしていく右手、その上から自身の手を重ねて抑える。きょとんとした顔で緑谷がこちらを見上げてくる。 
「え、あ、うん。勿論だけどなに?」
「あのな、想像してみたんだが…俺が一回かわいいっつったら緑谷はさっきみてぇに照れるだろ。そうすると俺はまたかわいいって言いたくなる。だから一回だと無理だ。それに、緑谷は可愛いだけじゃ足りねぇよ」
緑谷は一瞬止まっていたが、それからふわっと体の力を抜き、見慣れた気の抜けた笑みを浮かべた。そして、お互い様なんだけど、だからこそちょっと困るよね、僕ら、とまた不思議な発言をして肩をすくめた。









  了



 

(2022.9.28 Pixivに投稿
 2022.10.01 サイトに転載)
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