夜汽車


0時発だった。

掲示板を改めて確認する。もう少しだ。そう声をかけると赤司は「うん」と言って頷いた。汽車の待合場は吹きっさらしで、真冬のこの時期はひどく冷えた。自販機にコインを入れる。転げ落ちてきたおしるこを開けはせずに赤司に押し付けた。ある程度防寒している俺はいいが、こいつは文字通り着のみ着のまま飛び出してきた。飲まないのか。言うから、あとで飲むと返すと赤司は納得したように受け取った。じりりり、そろそろだというふうにベルがなる。
薄暗い顔をした乗客たちがどこかからぼつぼつと集って乗車口に並んでいく。どこの馬の骨ともしれない奴らだろうと、今だけは同じ船の住人だ。呉越同舟ともいう、ここはひとつ仲良くやろうじゃないか。そんな埓もないことを考えた。赤司がベンチから立ち上がり行くぞという。今度はこちらが頷く番だった。


ねむい、とすりよってくる頭を眠っていいのだよと言って撫でる。赤司は、緑間は? と尋ねてから、それもあと? と少しだけくちびるを緩める。ああ、もう少し起きている。そう言うと、いいの、怒られちゃうよ。赤司は前髪から覗く眉を寄せて言う。もう怒られただろう、返し、ひとめを気にしながら、俺は赤司に唇をちかづけてひとつだけ合わせた。恋人は満足した猫のように目を閉じると鼻から大きく息を吐いて背伸びをする。早く着けばいいな。目をつむったままそう言う赤司に、朝になったら着くと答えた。時刻表のとおりにいけばそうなるはずだ。そうか、眠っていても着くんだな。赤司はいって、そうなのだよと俺はいう。ごく緩慢にも性急にも思える汽車に体をふるわせて、俺と赤司は一切合切放り出して、行ったこともない場所を目指す。


みどりま。電話越しの声が言う。
会いたいよ。
相対よ。
相対する。
そうやって向かい合ったあいつの父は途方もない威厳をしていた。事も無げに自分の隣に坐っている赤司に、やはり、敵わないかもしれないと思った程だ。一張羅の背広とクリスマスケーキと花束と。そんなものはすべて取るに足らないことだと赤司の父親は言った。ただの一時の気の迷いだと。一瞬目の前が青くなって暗くなって明るくなって、気づいたときには俺は赤司の父親の襟首をねじり上げ、部屋中に響き渡る声で叫んでいた。
ふざけるな、お前に何がわかる。
赤司がひやりとした指で俺を取り押さえる。そして落ち着いた声で言う。とうさん、あるいはそうかもしれません。でも俺は、あなたではなくこいつについていこうと思います。目を閉じると赤司征臣の顔がよみがえる。その言葉は身の芯に染み込む重さがあり、この男の言うことが正しいのだと考えてしまう。ああ、大変だったな。そう思った。赤司、帝光の時のお前の苦しみが今目に見えるようだ。
いつか後悔するだろう。
赤司征臣はそう言い、絶句する俺を尻目に、その一人息子はそうは思いませんと言い放つ。


「赤司」
肩を掴んで揺する。赤司はぱちりと目を瞬かせて目覚めると緑間の視線を追って窓の外を覗き込んだ。一面の雪景色だ。はっと大きく息を呑んだ音が聞こえる。一面に広がる畑らしいその広大な土地は、朝日によってすべて目に痛いほどの白に染め上げられている。
「すごい」
「そうだろう」
赤い眸をきらめかせる赤司の肩を叩く。そうだろう、赤司、なあ、そうだろう。こんな景色、東京にいては見られないだろう。そんなことに確証を貰った気になっている。赤司が遠くに目を凝らす、ホワイトクリスマスなんて夢にも思わなかった、そんな可愛いことを言って俺を有頂天にさせるな赤司、しかしそうだ、澄んだ光だ、選ばれた朝だ、これ以上を望むべくもない。乗客は赤司と緑間が眠っている間にほとんど降りて、後はぽつぽつと遠くに残るのみになっている。赤司のやわらかな頬に触れる。昨夜は、あんなにわんわんと泣いていた。知っている、なだめるために同じように触れた頬がひどく熱かった。道端で泣き喚く男をなだめながら、赤司の家を二人で転がりでて、その足で駅へ向かった。北へ行く、たったそれだけを決めていた。まず色んな場所を見て回って、赤司と俺の気に入る場所が見つかったら部屋を借りていろんな物を揃えなければ。きっと寒いだろう、知っている。 それでも、どんな冷たい夜でも狭い部屋でも、ふたりでいるならそこは夢の国だ。だってそうでなくてはいけないだろう。彼の頬に涙のあとはほんの少し残っていた。
「どんなにか」
赤司がぼんやりと言う。
「どんなにか俺たちこれから幸せだろう」
その言葉に不可算名詞を数えているような気持ちになった。キスの数でそれが測れるものか少し心許ないけれど、それでもいいことにしよう。許されることにしよう。だって今日は特別な日だ。そんなことを考えていると赤司が俺の肩を叩いてきて、何だと視線を移せば、緑間、お前を幸せにするよ、絶対に。そういわれた。思わずぽかんとしてその顔を見下げる。赤司はどこまでも真剣な表情で、それは俺の、台詞なのだよ、そういう前にはりつめていたものが切れた。ぼろぼろと目から出てくるものはあまりに予想外で、一瞬鱗だと思った程だ。あかし、顔を手で覆い彼の名前を呼ばえば、何だといいながら抱き寄せてくる。俺より頭ふたつ近く小さいくせに、子供のような顔をしているくせに、赤司はそういうところはしっかりと男なのだった。首をかしげて赤司は心底不思議そうに言う。
「お前の泣き顔を初めて見たけれど、綺麗なものなんだね。目の色が緑だから、なんだかメロンの飴が溶けているみたいだ」
「…っ、褒めるか馬鹿にするか、どちらかにしろ…っ」
泣くのなんて何年ぶりだろう、呼吸の仕方がわからなかった。昨日わんわん泣いていた赤司が、実はすごいことをしていたのではないかと思う。あんなに声を張り上げてよく息が続いたものだ。
「褒めてるよ」
相変わらずよくわからない基準の褒め方をする男だった。緑間の耳に口を寄せ、怖かったな、言う赤司は、やはり少し疲れた顔をしている。
「俺も父さんに逆らったのは初めてだった、心臓が爆発するかと思った。でも、しなかった」
「…っく、馬鹿、かお前は。親に逆らったぐらいで、心臓が爆発など、するものか…、」
「ふふ、そうだね。でも俺は、すると思ってたみたいだ」
泣き濡れながらの俺の虚勢をしかし赤司はやわく受け流して、穏やかに頬笑む。旭日を弾き氾濫するその眸。それにいつだって魅せられてきた。そのように思う。赤司はそして、
「でも、しなかったから。これでこわいものが減ったよ」
随分と恐ろしげなことを続けた。そんな、それは果たして良いことなんか悪いことなのか一概に結論が出せない。
「…親でも殺すんじゃなかったか、お前は」
「ふふ、そう言ったこともあったね」
若気の至りさ。軽く流されてしまう。いつもの憎たらしいような言葉を探しているうちに、赤司の手はひらりと伸びて俺の涙を拭っていった。
夜汽車が銀世界の中を北の果てまで進んでいく。赤司の体温を感じながら、目を眇めて行く手を仰ぐ。夢の街まではもうすぐだった。




(2015.12.25 pixivに投稿)
2848字